沖縄での滞在がほぼ1ヶ月近くになり
時々思い出すことがあります。
それは今からもう10年以上も前になりますが、カナダに住んでいた時のことです。
見知らぬ土地に住みながらもスーツケース2つ分のモノで生活出来ていたということ。
たとえその時々で何かが足りない、必要なものがないと思っても
「じゃあどうしよう」と考えていたことは
今から思うと不便だった!と片づけることではなく、
ゲームをしている感覚で楽しんでいたことです。
ここ沖縄でも同じように、久々にそんな感覚を味わっていて、とても新鮮な気分です♪
たとえば、カナダでは
味噌汁を飲みたい!と思っても、アジアの食品店が近くにないような場所に住んでいたので
普通、具材にするような豆腐やわかめ、ネギなどが買えません。
お味噌は日本から持ってきていたので、
「じゃあブロッコリーいれてみよう」という感じで久しぶりに飲んだ味噌汁の美味しかったこと!
人生で一番味噌汁が美味しいと感じた瞬間だったかもしれません。
そのいつもと違う環境に入ることは
万事がこういう感じだったので、私はこの期間考えることをたくさんしていたように思います。
今いる沖縄でも、京都にいる時とは比べ物にならないぐらい
考えるという脳のスペースが突然空いた!(笑)みたいな感覚です。
カナダから帰国してこの数十年は
インターネット、SNSが急速に広まった時期でもあり、私たちは毎日あふれんばかりの情報が無意識レベルで頭に流れるようになりました。
「これが健康にいいよ!」と言われればそれを手にとり、
〇〇が流行っているよ、その波にのってよ~というような情報に、多くの人が手に入れようと動きます。
そしてメディアからは私たちの将来を不安にさせる老後問題などが
毎日にように流れています。
そして何か困ったことがあったときもインターネットで検索することで解決しているような気分になります。
これらの情報化社会は私たちが「自分で考える」ということをしなくてよいように
どんどんなってきているのではないでしょうか?
いわば人間がロボット化しているような・・・・、AIが人間に近づいていく一方で、
人間がロボットに近づいているような妙な感じがするのは私だけでしょうか?
まだまだ断捨離ブームが続いているのも、
物で満たされても心は満たされない
物が豊かになっても心は豊かにならない
ということを誰しも気づいているけれど、実際には手放しきれないということがあるようにも思います。
働き方や生き方がどんどん変わってきた中で、私はどんどん持ち物が減っていき、シンプルな生活になってきています。
そして自分にとっての幸せということにより意識は集中し、本当に自分が思う幸せとは・・・に近づいているようにも感じます。
いやいや、今が充分幸せということにたくさん気づくようになった・・という感じかもしれません(*^^*)