よく趣味のグループとか、
○○クラブなどグループに属したい人がいる。
会社に勤めていてもそうだが、
何かと自然にグループというものはできるものだ。
ここでグループに属したいと思う人というのは、
「なんでもわかりあえる」と信じて、
そのグループに属す傾向があるように思う。
そしてグループに属さないという人は
そもそも分かり合おうとか
コミュニケーションが上手くとれるようにしようとか
あえて求めていない(基本的にそんなことはどうでもよい)
というのがあるように思う。
なので前者は期待が大きいので、
もしそのグループがうまくいかなかったときには、
残念~解散となることも多い。
反して後者はそもそも分かり合おうという期待もないので、
逆にお互い自然に分かり合えることも多いし
長続きすることが多い。
私の場合は間違いなく後者だが、
そういうグループにたまたま属したときには、
とても気分よくいられることが多い。
そして前者に属する人で、
グループにいることへの期待が明らかに高い
と感じられる人同士を見ていると、
とても窮屈感を感じることがある。
もっと楽にいけばいいのに‥‥とさえ思ってしまう。
でもそのグループの人たちにとってはそれが楽なのだから
他人がとやかくいうことでもない(笑)
それが一種の人や組織に対する依存心であるならば
もしそれが大きなものになっていることに自分で気づいてないときには
それが崩れたとき、
大きなダメージを受けてしまう。
それはすべてにおいていえることだ。
依存しやすいものというのは
私たちの廻りにあふれかえっている。
食べ物、アルコール、人、ペット、家族、・・・
あらゆる物、コトがある。
あまりにも自分以外のことに依存していると、
期待するがあまり、
自分の思いどおりにならなかったときのショックが大きい。
執着や依存をまったくゼロにするというのは難しいかもしれないけれど、
もし自分が何かに依存しているなと気づいたならば
少しずつでも手放していくことは
自分自身を開放させ、
ほんとうの自分をみつけることを
助けてくれる(^.^)
そして何か、誰かに依存している時とはくらべものにならないぐらいの
本当の安堵感ともいうべきものが出てくる。
人間も含めて全てのものは
生まれながらに生きているだけで充分で、自由なのに、
自分以外の何かに依存、執着して、自分を窮屈にする必要はない。
手放すことは何かを得たり、依存するよりもはるかに難しい。
でもいったんその味を覚えたならば
「なーんて楽なんだあー」と感じられるのである(^^♪