カナダに留学した時
物理的にも精神的にもいろいろなものを捨てられたように思います。
モノも時間なのです。
物を買う時に支払っているのはお金ではなく時間なのです。
本当にそれが自分の大事な時間を切り売りしてまで必要なものかどうかを考えることは、
自分が何を大事にするかという点でもっとも重要なことだと思っています。
「無料」や「高級」「期間限定」などの言葉にだまされて、
本当に大切なこと「本質」を見失っていないでしょうか。
無料のものを得ることで、
「使わなければならない」という思いにとらわれていないでしょうか?
高級なものを手に入れることで、
「もとをとらないと・・」という思いに少しでも縛られていないでしょうか。
私たちは充分たくさんのものを持っているのです(^.^)
必要以上のものを持つことは、
不要なものにまで「失いたくない」という思いを発するようになり、
本当に大事なもの、自分が時間をかけたいものをわからなくさせるのです。
本当にお金を使うものって何でしょう?
単純にいえば、いつも自分が使うもの、長く使うものではないでしょうか。
健康のため、仕事を効率化してくれるもの、
時短につながる家電、
知識や情報を得る本などなど。
それは物が少なくなることで集中して「選択」できるようになるのです。
物が多くなればなるほど、
無意識にその管理に時間を使わねばなりませんね。
旅行の時でも荷物が多いほど、
現地でその荷物を管理するための時間も使います(^^;)
なにかと「面倒くさい」と感じる現代は、
あまりにもたくさんのものがありすぎて、
それらの情報が行動をすることを妨げているということが多々あります。
もし面倒くさいと感じた時
「より効率よく出来ないか」
「自動化できないか」
と考えることは身の周りの物事をスッキリさせるのに役立ちます(^^♪
するとめんどくさい余計なことがなくなり好きなこと、
本来自分がやりたいことに集中できる力も出てくるのです。
私は46歳の時、長年の夢であったカナダで生活したのですが、
数年生活して日本に帰って来た時、
なんともいえない幸せを感じると同時に
とてつもない無力感を感じました。
そして帰国して数か月後にカナダの友人と電話で話した時、
「ほんとにもう充分やねん‥‥」と
幸せの涙か悲しい涙かわからないような涙が出てきたのです。
それはおそらく日本からいったん出たことで、
改めて日本がどれだけ快適に暮らせるか、
何に対してもどれだけ最良のサービスを受けられているか、
ほしいと思うものはすでにいっぱい自分は持っているんだ
ということを心から感じたからかもしれません。
そしてカナダではスーツケース2つ分で生活出来ていたという事実、
そして日本に帰るとあったことすら忘れていたたくさんの物に再び囲まれて
それらに圧倒されたというのもあったかもしれません。
その時思ったのは、たくさんのものに囲まれていることは
「本当に自分の大切なもの」をわからなくさせるということです。
考えてみると、カナダでの生活は自分の思うようにいかなかったこと、
不便なことは多々ありましたが、
「カナダに住みたい」という思いだけで突っ走り、
必要最低限のものに囲まれながらも新しいことをいっぱい体験し、
自分の考え方もとてもシンプルだったように思うのです。
日本に帰って元の生活に戻ることはもちろん安心感からくる幸せ感はありましたが、
「何が自分にとって幸せなのか?」
ということを真正面から向き合う衝撃でもあったのです。
そしてカナダで生活していたことだけで
いろいろなもの、コトを捨てられていたんだなと
わかったのでした(#^.^#)