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諦めること

最近

いろいろなことを諦める

ということがほんとに大事なんだなと実感しています。

それはいまもなお続くコロナ禍だからこそ
より感じることなのかもしれません。

 

それは

「何々ができないから諦める」

という感覚ではなく、

もうすでに充分満たされているからオッケー!

「もう充分です」

というような感覚です。

 

つまり

「~したい」

というような願いがない状態です。

こんなことをいうと夢も希望もないようですが

ただただ
今のままで充分幸せだから
プラスアルファ
何か頑張ってやろう!とか
いう気持ちがないということです。

これは私が46歳の時にカナダへ行って
数年の滞在後帰国したときの感覚に似ています。

 

日本のような何もかも満たされている素晴らしい国で
生きているというだけで

もう充分幸せです。

なにもいりません。

というような感覚です。

 

それでもちょっと外に出れば
なんでも手に入る
たくさんの物があふれかえっている
たくさんの情報が次から次へと入ってくる
たくさんの人がいる。

などなど、その時は

もういっぱいいっぱいです。

もういりません!

という感覚だったんでしょう。

最近
またその感覚が日増しに強くなり

いろいろなモノを再び手放したくなり

服、書類、いろいろな小物、宝石類などなど

断捨離し始めました^^;

 

なぜなら

もう充分です。

幸せです。

という感覚になった時

自分が囲まれているものが
自分にとっては余分なもの
いらないものというのが

再びクリアになって

持っていること、囲まれていることに
違和感が出てくるからですね。

なので

スッと手放すと

ほんとにスッキリするのです。

断捨離というのは
玉ねぎの皮を時には
一度に何層もはがしてみたり

またある時には
薄い層を一層ずつはがしてみたりと

そのタイミングや
自分の思いによって
自然にしているんだろうなと
思います。

手放すということは

それらを諦める

ということなのかもしれません。

何かの本に

諦めるというのは

「明らかに眺める」ことだ

と書いてありました。

 

とても的を得た言葉だなと思いました。

明らかに眺めたあとは

とても潔く

いろいろなことが

手放せるからです(^^♪

 

 

 

 

ふと思うこと
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