英語を勉強する集中力がない
1つのことに集中する時間が継続できない
このような人は多いのではないだろうか?
でもそもそも「集中力っている?」と私は思う。
私たちは学校で集中することは
よいことだというように習う。
そして勉強をする上では集中するほうが
より学ぶことも多いだろうし
テストの結果もいいだろう。
そういう面での集中は
確かに必要なものだろうけれど・・・
もし何か創作的な活動の中で、
奇抜なアイディアを思いつかないといけない状況では
どうだろうか?
ずっとそのことばかりを集中して考えていた時には
思いつかなかったことが
ふと何でもない時、
通りをぶらぶら歩いていたときや
お風呂でぼ~っとしていた時に
思い浮かんだ経験など誰しもあるのではないだろうか。
もし人が集中してあるものごとを考えずに
抽象的にいろいろな物事を考えていたなら
ある時ふとそのうちの一つのアイディアが浮かぶ瞬間がある。
私はその瞬間が好きだ。
よく言われる「アハっ体験」とでもいいましょうか(^^;)
なので私は目の前のことには
その時集中しているんだけれども
物事を同時進行で進めていることが多い。
たとえば本を読む時
いろいろなジャンルの本を3冊同時に読み進める。
日常生活でのやらねばならないこと、やりたいことも
並行して同時に進めることが多い。
今、電子書籍を書くことが多いが、
1冊を集中して書くということも
あるけれど、3冊同時進行で書き進める時のほうが
自分にはあっているように思う。
これは私が飽き性ということもあるかもしれないけれど
同時に進めるというのは、
1点集中している時よりも
3点以上を見ることで
自分の見方が抽象的になり
思考が柔軟性を持つのではないかなと
自分では考えている。
しかもこの3点がお互いにいい影響を与えているのである(^.^)
1つの集中だと、脳がその範囲でしか反応していないように
感じるからかもしれない。
3点以上を同時進行しているからこそ、
目の前の1点にその時集中できるという感覚がある。
「集中する」というのは
その道を究める人にとっては
とても意味のあることだとは思うけれど
普通の人にとっては、
興味のあることだけに限定してしまい、
発想するということとは
かけ離れてしまうようにも思う。
思考を分散することで、
自分のこだわりがなくなり
今までと違う領域に入れる可能性があるのだ。
今はSNSでの人との関りが多くなり、
それに反応する、選択するというだけに
なりがちだ。
多くの人が、自分で「考える」ということが
出来なくなってしまったともいえる。
この「分散思考」は自分の脳を柔軟にする方法のひとつとして
いいんじゃないの?ぐらいに思っている(^.^)