私はバブルを経験している年代ですが、バブル時代を生きた人であれば、バブルが崩壊したあと、
「自分にとっての幸せってなんだろう」と自分に問いかけた人は多いのではないでしょうか?
新年早々に起きた能登半島沖の地震や飛行機事故など
私たちが予想だにしない自然災害や事故を
目の当たりにする中
「今日と同じ明日が来るとは限らないんだ」
ということを誰もが感じているのではないでしょうか?
人によって幸せを感じるレベルというか、価値観は違うと思いますが
私自身、普通のOL時代からすると幸せを感じるレベルは激しく変わってきたと思います。
OL時代は、バブルの全盛期ということもあり、欲しいものは何でもどんどん買い、
毎日の通勤服もとっかえひっかえ着てましたし、
勤務終了後は
飲み会は断るなんてもってのほか、行って当たり前、
夕食もイタ飯だ、フレンチだといって友達といろいろな美味しいものを食べにいったり、
遅くなったらタクシーで帰宅、お金はいくら使ってもどんどん沸いてくるような感覚だったと思います^^;
今から思えば、まるで別世界です。
そんな生活をしながらもどこかしら幸せを感じられない、
ぽっかり心に穴があいたような感覚が常にありました。
それは「~をするから幸せ」「〇〇を持っているから幸せ」「○○があるから、誰々がそばにいるから幸せ」という感覚に違和感があったんだと思います。
つまり条件つきの「~だから幸せ」というものにです。
廻りの会社の同僚や上司はどのようにその時感じていたのでしょう。私からは普通に楽しんでいたように見えてましたが、実は私と同じようになんらかの虚無感のようなものを感じていたかもしれません。
会社を辞めてから、パートタイムで仕事をするようになり、さらにネット副業を始めるようになり、ますます「私にとっての幸せって何だろう」ということを真剣に考えるようになったように思います。
そして私にとっての幸せを感じるレベルというのは世間から見るととても低く、実はほんの小さなことででも幸せを感じられるようになってきたんだなと最近つくづく思います。
「ひょっとして月に10万円ぐらいで生活できる?」と思うぐらいです。最近では月5万円の年金だけで生活できて楽しむ70歳代のYou Tuber さんなどおられますね。
そんな姿を見ると元気が出てきます。
バブル時代、会社員時代というのは、少なからず廻りの幸せレベルに合わせていたから違和感があったんだ、私はそんなことを求めてなかったんだと今になって気づきます。
私は46歳の時からカナダに3年間住んでいました。
その時スーツケース2つ分の荷物でカナダで生活出来たのです。
そして日本に帰ってきた時、久しぶりの日本の食事の美味しさ、サービスの良さ、日本人の素晴らしさを再確認し、感動すると同時に、なんとも言えない空虚感をおぼえました。
すべてのことが幸せに違いないのに、
私にはtoo much!だったのです。
そして「足るを知る」どころか、足ることを知りすぎてしまったのです(笑)
久しぶりに電話をくれたカナダの友人に「元気か~
?」と尋ねられて、「うん、元気!・・・でもね・・いっぱいあるんだよね~・・」となぜかわけの分からない涙が出てきたぐらいだったんです。
あまりにも満たされていることで幸せなはずではあるんだろうけど、胸がいっぱいになったんです。
その時に感じた何とも表現できない気持ちも
これまで働き方や生き方が変わってきたきっかけになったように思います。
幸せの価値観は人それぞれ、自分の価値観すら手放して
「もっと好きに自由に生きていく」と
心から思った新年でした(*^^*)