労働=お金という考え方

お金がないという人で本当にない人はいない

「お金がない」とよく言う人がいる。

「ヨーロッパ旅行に行こう!」「〇〇を買ってみよう」などと

言うと決まって「お金ないし、今は無理」という答えが返ってくる。

そしてそれを叶えるためには、「今以上に〜時間働かねばならない」という

考えにいたるようだ。

 

以前は私もその考えがあったかもしれない。

 

でも「お金がないし、行けない」と言ったことは一度もない。

もし理由をつけるとしたら、「本当に行きたいと思わない」とか

「心底欲しいと思わない」ということだろう。

 

本当にやりたいこと、欲しいものがあれば、借金(自分に投資)をしてでも

やるだろう、買うだろう。

 

そうしないということは、そこまで行動に移すほどの欲望がないということだ。

本当にお金が手元に1円たりともない人はいないはずだ。

もしないという人がいたとしても、身うちから何かプレゼントがあるかもしれない

し、宝くじが当たるかもしれないし、低利息でお金を借りられるかもしれない。

 

「お金がない」と言ってしまうと、その可能性を全部打ち消してしまっているようで

なんだかもったいない気がしてくる。脳が「お金がある」という状態を拒否してしまうのだ。

私達が頭で考えられる可能性というのは、

これまで生きてきた中での過去の可能性の範囲内であって、

この宇宙全体の可能性から比べればほんとにほんとにちっぱけなものだろう。

 

自分からその可能性をせばめてしまう必要はない。

従来の考え方から抜け出せないでいると

労働=お金を作るという方程式から頭が離れられないのである。

 

「働かざるもも食うべからず」という時代はとっくに過ぎ去っていると思う。

もっと自由にもっと自分の中でオプションを意識的にでも増やしていったほうが

もっともっと自由な楽しい世界がある。

お金にかぎらず、すべてのことにおいていえることで、私達は自分が思っているよりも

もっともっと自由な考え方が出来るし、本来は皆そんな力を持っているのである。

自分の考え方というのは、

これまで自分が置かれてきたほんの小さな世界から生み出された考え方であり、

それは自分の考えというよりも、作られた考え方にすぎない。

それから抜け出すには・・・?

「そうだったんだ」と気づけばよい。シンプルである(*^_^*)

これまで自分が当たり前だと思っていた考え方を一旦手放してみると

今まで見えてなかった、思い浮かびもしなかった世界が見えてくることもあるのだ。