火事場の英語力~その19~

 

 

 

 

 

 

 

学生ビザを却下された私はこれからどのようにして
カナダに滞在していくか考えた。

4月からワークビザで働きだし、
その職場を脱出してキャンモア、バンクーバーへと移動しはや6か月ぐらいがたっていた。

バンクーバーへ移動する時は、もしここでだめなら日本に帰る
という選択肢もあるだろうと思っていたはずなのに、
私はこの時ですら口では「日本に帰るべきなのかな~」などと言いつつ
内心は全然帰る気がなかった。
長年夢に見てきたカナダでの生活、数か月で帰るということは考えられなかった。

 

その気持を後押ししてくれたのが、その時、ルームメイトだったメキシコ人の男性や
バス停で知り合ったRおじさんだった。(Rおじさんの話はこちら
彼らが言ってくれたことは、「今、日本にいったん帰ってしまったら、
また準備を整えてカナダに来るぞ!というパワーを保つことが出来るのか?
絶対に帰らないほうがいい!」ということだった。
それは私が一番思っていたことだったので、彼らの言ってくれることで自分の気持も確信できた。

特に、メキシコ人の男性は「1回ビザを却下されたぐらいであきらめるな。
僕たちなんて観光ビザをとるのさえ難しいんだよ」と言っていた。

日本人はビザがおりるのは当たり前のように思っている部分があるが、
確かに観光ビザですらとりにくいという国はたくさんある。

 

彼らからの言葉は本当に私を力づけてくれたし今もこの時のことを思うと、
私のことを思って元気づけてくれたことに感謝の気持ちがあふれてくる。

そして私は再度、学生ビザ取得することに決め、それに向けて準備をし始めた。

この時、このRおじさんが、ビザ取得にあたっての英文の文書やインタビューの答え方などを
本当に親身になってサポートしてくれた。この文書を作る時に、
これまでの経緯(ワークビザをとって日本から来たことから)を話す必要があったので
Rおじさんに全て話した。

Rおじさんは「よくそんな経験をしてバンクーバーまで頑張って来たね。」
と言ってくれて、その後私が何かするたびに、“You are brave woman!”と言っていた(‘◇’)ゞ

「火事場の馬鹿力」とはよく言ったもので、
その当時の私の英語力はそんな公的な文書を作れるようなレベルではなかったが、
せっぱつまれば人間なんでもできるものだと思う。

自分だけでがんばらなくても、Rおじさんをはじめ、まわりのいろいろな人に助けられて、
学生ビザ取得リベンジの準備が整ったのである。

今回は高速バスを使ってシアトルまで一人で行くことにした。
シアトルのホテルで1泊して移民局があくと同時に申請に行くという計画だ。

前日のホテルからも緊張して落ち着かなかった。
これでもしダメなら日本に帰らざるをえない。
でも絶対大丈夫!と自分に言い聞かせ・・・

いよいよ明日はビザ再申請リベンジだあーーー!
と自分を奮い立たせていた(^^♪

                                    ~つづく~