孤独に打ち勝つ必要はない

孤独というとそこから抜け出すとか打ち勝つとか考えがちだが、私はそう思わない。

時々、アラフォー、アラサーの人で「このまま一生一人だと思うと不安になる」という人がいるが、
私もかつてはそんな不安な気持ちになったことがあった。でも孤独だと不安だという気持ちはどこから来ているかを一度考えてみてほしい。

人間誰しも一人で生まれてきて、一人で死んでいく。どんなに家族が多くても、子供がいても、結婚していてもそれが安心ということは言えないのである。ではなぜ不安に思うのか?それは自分が「不安と思っている」と思っているだけである。

ちょっとややこしい表現だが、ただ「一人だと不安だ」ということを小さい頃から言われてきたからというのがとても大きいと思う。本来、人間は孤独が好きというか、自然なんだ、必要だと思うのである。でも廻りの目を気にして、それを避けようとしたり、「人とつながることはいいことだ」と思っている人は多いだろう。小さい頃から学校に行き出すと、親に、「友達できた?」など聞かれ、「友達100人できるかな?」みたいな歌があるように、「友達が多いほうがいい」「誰かとつながっているのがいい」という考えが出来上がってくるので、一人じゃだめなんだ→不安となるのはごく自然の成り行きだろう。

ひと昔前なら孤独というとネガティブなイメージがあったし、今でも「孤独やなー」とか「孤独死」などの言葉を聞くとさみしい、悲しいイメージを持つだろう。

でも昨今、孤独力を鍛えようとか、「おひとりさまランチ」、「おひとり様ツアー」などがメディアでも言われだし、流行してきたことによって、これまで「一人で~する」とか「一人で食べる」といったことが恥ずかしいとか、まわりに「さみしそう」と世間的に思われていたことが、「ひとりでもいいんだ」と多くの人が思うようになってきたように思う。

子供の時は、それでも孤独な時間(子供が輪の中に入らず一人で夢中になって遊んでいたり)を自分なりに作っていると思う。でも大人になれば、いろいろな情報ですでに脳が思い込んでいる(洗脳されている)部分が多いから、まわりの情報、人に流されている人は多い。

はたしてどれだけの人が孤独な時間を大事にしているだろうか。もし何か孤独であることに不安を感じている人がいたら、孤独であると感じていることを反対に誇りに思うぐらいでいいのでは・・ぐらいに思う。

孤独の時間は人生においてと~っても大事なのではないかと思っている。それ(自分と向き合う時間)がないと日々の雑務(しなければならないと思っていること)に追われ、自分が何者かもわからないまま、あっというまに1日が終わり、1カ月が終わり、1年が終わり、一生が終わってしまう。1日のほんの10分でもいいので、何にもつながらず、自分に起こっている出来事と、自分の価値観をすりあわせて考えてみるという時間が大事じゃないかと思う。それが心身のバランスをとるうえでも一番重要なことのように思う。

ひとりで自分の中に向かいあうことで、自分というものがより観えてくるし、自分の中から何かしらのパワーが出てくるのを感じる。

孤独力を鍛えることで、それが社会から離れてしまって一人で引きこもって(孤立する)しまうということではなく、反対に廻りの人(家族や友人、職場の人)との関係がよくなる。なぜなら、孤独力が鍛えられると、人と触れ合うことで受けた刺激を自分の中で活かして、自分の価値観を伴って、より自分の思うような言動ができるようになるからだ。

ベースにこの孤独力というのがないと、相手に話をあわせようとしたり、自分からも似たような話題を提供したりと、自分が思う以上のエネルギーを大量に消費して疲れてしまうのだ。自分軸がないから。根っこの弱い木のように、育ちたくても育たないのだ。

結婚もしかり、一般的に結婚すると自由がなくなるように思われるが、お互いがこの孤独力を持っていれば、より自由になると思う。お互いの孤独力をリスペクトし、一人でいたい時を尊重するだけでなく、一緒にいたい時にはいつでも一緒にいられるという選択も出来るので自分の世界が広がるからだ。

でもほとんどの結婚が上手くいかなくなる理由は、この孤独力の欠如ではないかと思う。自分というものもわからないまま自分が満たされないまま欠如感をかかえ、相手に依存してしまうからだ。

なので、世の独身の人たちは、不安に思うよりも、「独身でよかった」「結婚前に自分を知る時間があってよかった」「孤独になれる時間があってよかった」と反対に喜ぶべきだとも思う。

そして、自分の孤独力がしっかり鍛えられていれば、しっかり孤独力を持った相手が目の前に現れる。

 

・・・と、孤独についてちょっと考えた日でした(^.^)