大きく動くことの効果

人は大人になるにつれ、行動の幅が小さくなっていきがちだ。

もちろん、子供のころは自分の出来る行動というのが、廻りの大人(主に親)に関係しているから制限はされている。分別がつくようになると自分で自分の行動が選べるようになってからという意味だ。

どうしてそうなるか?それは人間誰しも自分のやったこともないことをやる、行ったこともないところへ行く、会ったこともない人に会う、というのは何かしらの不安を伴うからだろう。でもやってみれば「なーんだ大したことなかった」「やってよかった」「行ってよかった」「会ってよかった」となることが多い。

人間は基本的に変化が怖い生き物なんだろう。それは人間の防衛機能でとても自然なことだ。
もちろん私もそうだが、これまで私にとっての「大きく動いた」時は
「大きく変わる」ということを可能にしたように思う。

たとえば、10年以上前に20年勤めた会社を辞めた時、
始めて、外国人のいる職場で働いた時、
数年後にカナダに行った時、
オランダに初めて行った時などなど。

そうして大きく動いたあとというのは、それまでに思ってもいなかった考えが自然に出てきたり、
(とはいってもその当時は気づかなかったけれど)
精神的にものちのちの自分の行動にも大きな影響を与えたと思う。

特に、カナダやオランダへ行くという場所を大きく変えるのは、
すごく自分自身に変化をもたらす効果が大きいと思う。

それはあまりにも日常とかけはなれた環境だから。
環境が人に与える影響は大きい。
小さい頃育った環境が後々の自分の性格形成等にも関係してくるように。

「大きく動く」というのは、何も場所的なこと距離的なことのみではなく、たとえば英語に興味を持って知りたくてたまらないという人なら、週に1回英会話学校に通うというのではなく、朝から晩まで英語漬けで英語に触れる、勉強する時間も普通の人の何十倍にもなるだろう。そしてその大きく動く→大量の行動の結果が大きく出るというのは言うまでもないことだろう。

この大きく動くことの過程でもしそれが何らかのストレスになるならば、やらないほうがよいと思う。
でもそれがこれまでやったことがないことへのストレスというのなら、しばらくは続けてみないとわからない。大事なことはそれが時間を忘れるぐらい、自分が楽しくワクワク出来ることだと思う。

イチロー選手も、通常の野球の練習時間以外に自ら素振りを人の何十倍もしていたと聞く。
人とは比べようもないぐらいの大量の行動を自然にしていたのだ。
それは彼にとっては当たり前のことで、廻りからは苦痛に見えることでも彼にとっては当たり前の習慣だったのだろう。

もし「現状の自分を変えたい」とか、「ほんとうの自分はこんなもんじゃない」とか感じている人がいれば、この大きく動く、大量の行動というのを意識するといいと思う。

私もいろいろなワクワクを体験したい、自分の可能性をもっと発見していきたいと思っている過程だけれど、ここオランダにいるといろいろな可能性が見えてくるような気がするのである(^.^)