ちまたでは今も断捨離ブームですが、
洋服などの整理をしていて
「あっこんな服持ってたんだ。こんなかわいかったっけ?今度着ていこう!」
と以前買った洋服でそんなに特別お気に入りではなかった服が
突然浮かび上がってきたというようなことはないでしょうか?
好きなことを探すのもそれと似ているかもしれません・・・。
自分の中で必要のないものを減らしていく中で
「あーこんないいものあったんだー!」
というような感覚です(‘◇’)ゞ
好きなもの、興味のあることというのは時間とともに変化しているのです。
子供が簡単なおもちゃに興味を失って、
複雑だけれどより刺激のあるゲームにのめりこむように、
私たちのお気に入りも変化しているのです。
大人になればなるほどたくさんの物、
コトと関わり、あまりにも多くのものをあれもこれもと持ちすぎていると、
「あれも使わないと、その服も着ないといけない」という気持ちになり、
選択することすらできなくなってしまうのです。
そしていったい自分の今のお気に入りが何なのかさえもわかならくなるのです(^-^;
服を着ている時を考えると、
自分が「これが好き」といえるような服を着ているときというのは
気分もよく着ていても心地よいのではないでしょうか?
それを「そこそこ好き」とか「ちょっと好き」な服を
毎回とっかえひっかえ着たり、
自分が2番目に気分がいいと思う服を時折でも着る必要があるのかということです。
それは廻りの目を気にして自分がやっている行動かもしれませんし、
自分の思いもあるかもしれませんが、
自分の一番「好き」以外のもの、
2番手、3番手をどれだけまだ優先したいかということですね。
「そこそこ好き」や「ちょと好き」にも関わっていると、
「ほんとの好き」を見えなくしていることもあるのです。
「嫌い」というのはすぐに排除できても、
この「そこそこ好き」というのはなかなかくせ者だと思うのです( ゚Д゚)
服にかかわらず、すべてのものが増えれば増えるほど、
「好き」「そこそこ好き」「ちょっと好き」「嫌い」の境界線をあやふやにさせ、
「自分にとって大切なもの」を見つけることが難しくなりますね(^-^;
囲まれているものは無意識にあなたのエネルギーを奪っている
ということにも気づかなければなりません。
自分の部屋の中にもあなたのエネルギーを奪っているものはないでしょうか?
ここ数年手をつけてなかった何かしらの教材、
いつか使うかもしれないと思っている書類たち、
いつか着るかもしれないというあまたの洋服などなど・・・
それらの物があなたに
「いつ使ってくれるの~?」と訴えている声を
あなたは無意識に聞いていることになるのです。
自分に今大切なもの、一番のお気に入りは、
それらの「もう自分には必要のないもの」
「はっきりお気に入りから外れたもの」を諦め、
取り除かないと見えてこないものですね(#^.^#)