あなたは「今」という瞬間を楽しんでますか?
日々生活している中で、無意識に「未来のために今を犠牲にしている」
ことってないでしょうか?
たとえば
「明日会社が早いから気の合う友人との夕食会だけど、早めに切り上げよう」
「旅行に行きたいけれど余裕がないから、お金が貯まってから行こう」
などなど。
これらのことと混同してしまうのが、たとえば
「将来の自分の理想の生活のために副業に時間をあてよう」
「これからの物価が上昇でお金の価値はどんどん下がっていくだろう。
今のうちにお金の勉強をして少し投資に回そう」
というようなことです。
はたしてこれらの考えも今を犠牲にしていることになるのでしょうか?
これらの違いは、前者は不安からくる行動、後者は自分の理想の方向への過程としての行動のように思うのです。
そして明らかにそれぞれに状況での気分が違うはずかと思います。
~しておこう→これは犠牲という概念でしかない
~しよう、またはしたい→自分の意志で行動している
のです。
イチロー選手も日々なにも特別なことをしていたわけではなく
「誰もができる素振りを誰もできないレベルでやっていた」といわれています。
もちろん
「今を犠牲にしている」というような感覚はまったくなかったでしょう。
つまり「私たちが体感できるのは今しかない」ということなんです。
過去のことも、未来のことも
出てくる不安も、頭の中で今起こってもいないことで妄想が膨らんでいるにすぎないのです。
冒頭のことでいえば
明日突然会社が休みになるかもしれません
→行かねばならないことがなくなる
1週間以内に宝くじがあたって・・・
→3日後に旅行にいける
などなどの可能性もあるということです(^^)
でも多くの人は過去や未来の妄想が膨らみながら、今、行動していることが多いのです。
私自身も人間ですから突然不安を感じたりすることももちろんあります。
そんなときは「あっまた未来を妄想してたなっ!」と意識を今に戻すのです。
すると「今こうして生きている、見えている、動けている」ことに感謝の気持ちが沸き上がってきます。
そして何か気になることがあって悩んでいる時は
「結局、悩めるってことは暇なんだ」と思えるようになりました (^^♪
考えてみてください・・・。
それがどんなに大きな悩みであったとしても、もしあなたが余命1か月と告げられたなら・・
あなたはその時でさえ
「そのことを考えて悩み続けますか・・・?」ということなんです。
そう思うとそんな悩むほどのことじゃないとアホらしくなると思います(*^^*)
「悩む力がある」ということは身体が元気だということなんです。
これは私自身の経験ですが、以前、私の母が脳の病気で入退院を繰り返していた時、家で容態が急変し、夜中に救急車で運ばれたんです。
その時お医者さんに「万が一の場合、人口呼吸器をつけるかつけないか」というようなことを聞かれ重要な決断をしなければならなかったんですね。なんか頭がぼーっとしながらもなにか答えたように思います^^;
そして家に帰って寝る時に、普通に考えればこんな深刻なシチュエーションならこれからのことがもう不安でたまらないと思うんです。
でも・・私が感じたのは、その前後であまりにも介護で疲れていたからか「寝れる」ということだけでまるで「至福の喜びに包まれたような」感覚だったんです。
「もー幸せ~!」ぐらいのなんとも穏やかな心地だったのです。ひょっとしたら笑みさえ浮かべていたかもしれません^^;
自分でも「なんでこんな状況でこんなんなんだ??」と思いましたが・・・後になって思ったことは
「心身ともに究極に疲れてもーだめだ~!という時は
悩むことすら出来ない、忘れている」ということ。
私たちは、いま幸せに感じられるその大事な瞬間を無意識に悩む時間にあてていることが多々あるのです。
「今の時間を楽しむ」ということはいつでも出来るのです!
選べるのです!
人は幸せな体験をするためにこの人生を生きています。
悩むために生きているのではないのですから。
「体感できるのは今しかない」ということ。
時々でも思い出してみてください(^^♪